
「人は誰でも間違える~To err is human~」
これは、医療者、特に医療安全にかかわる医療者なら、誰でも知っている言葉だと思われます。この報告が衝撃を与えたのは、1997年の米国で、医療過誤による死亡者数は死亡順位の8番目にあたり、交通事故や、乳がんや、エイズによる死亡数を上回ると推定されたからです。「医療事故は起こしてはならないものですが、起こりうる」それは、人間がすることでもあるし、医療にかなりの不確実性があるからと思います、
いま、再審制度を見直す刑事訴訟法改正案が論議されています。「99.9%」これは、日本の刑事裁判の有罪率だそうです。これをどうみるのか?「刑事事件で無罪となることがいかにむつかしいか?」という数字です。検察が優秀だから?いや・・むしろ、99.9%は恐ろしい数字と思います。長期拘束され、再審査で無罪となった袴田巌さん。「郵政不正事件」で長期拘束され、無罪を勝ち取った村木厚子さん。これは0.1%に当たる事件ということになります。村木さんは、「おどろきの刑事司法~犯罪者の作り方」という本で、刑事司法の問題を当事者として発信されています。
起訴されると、無実であることを証明するのが非常に難しい・・それはいろいろ理由があるようですが・・。
(1)証拠開示の問題:検察は多くのものを証拠として押収します。しかし、その押収した証拠は弁護側には簡単には開示されません。これでは、検察が有利なものだけを証拠として使用し、不利な証拠は闇に葬られる可能性があります。
(2)人質司法:被疑者や被告人が、否定したり、黙秘した場合長期間にわたって拘束し、最終的に捜査機関のストーリーにあった自白調書にサインするまで拘束を続けることを言います。長期間の拘束が心身ともに悪影響を与えることは誰でも想像がつきます。実際、袴田さんは、長期間の拘束で精神的な障害がのこりました(姉の袴田ひで子さんからの証言)。
(3)再審査までの壁:再審請求しても、検察の不服申し立て(抗告)が可能で、今の改正法の論議は、この抗告を禁止すべきかどうかが問われています。再審決定まで長い長い時間、年月がかかります。そして、無罪かもしれない人の貴重な時間が削られているのです。
医療においても、医療情報は医療者と患者・家族の間では同等ではありません。悪意を持っていれば、診療の中身を故意に隠ぺいすることもできないことはありません。医療における非対称性は認めつつも、可能なかぎり同じ情報をもとに医療を行うことが重要と考えています。診療録の開示も普通に行われるようになってきていると思います。
司法の世界でも、検察と被疑者・被告・弁護人が同じ情報をもとに真実を明らかにすることが普通だと思います。
司法の世界で、検察は「絶対に間違わない」と思っているのでしょうか?あるいは「間違ってはいけない」と思っているのでしょうか?
「真実は何か?」が最も重要なこと。「人は誰でも間違える」そのことを認め・・その次に「But can be prevented」しかし、防ぐことができる。
間違いが起こることを認め、それを教訓に、医療の世界では「重大事故」をできる限り減らし、司法の世界では「冤罪」をできる限り減らす。その方向になぜ向かないのか!
参考の本
1)「人は誰でも間違える~より安全な医療システムめざして」
2)袴田事件~神になるしかなった男の58年~ (青柳雄介著)文春文庫
3)おどろきの刑事司法~犯罪者の作り方 (村木厚子著)講談社現代新書